もったいない

「もったいない」

いつかのシャープのCMで、「もったいない」はエコの始まり、のようなものがあった。
「もったいない」という単語自体は良いも悪いもないと思う。

でもこの単語を他人から言われるとイラッとくる。
尊敬している相手からの「お前、もったいない」という言葉だったら素直に受け入れることができるけど、尊敬していないとは言わないものの、自分と同レベルで、強い尊敬も抱いていないような相手から言われると、苛つくものがある。

なぜか。
尊敬している人の場合は大概のことを素直に聞き入れやすいのでここでは割愛する。

同程度の人に言われるといらっとしてしまう。
同程度の人が自分ではないにしろ、同程度の人に言っているのを聞くといらっとしてしまう。
これは「型にはめる」行為・意思を感じてしまうからだ。

「もったいない」とは欠如している部分があるからこそ出てくる単語であろう。
だからその欠如をなくせばもっとよくなるよね、という励行だろう。
その欠如している部分を見つけるためには、こういう形が理想だという「型」があるはず。
そしてその「型」っていうのは人それぞれ理想の物を持っている。
その理想は自分がなりたい型であると想う。

「もったいない」を使う人は、型に関して2パタンの考えをしている人がいるように感じる。
1つ目は自分の型をそのまま相手に適用する。
2つ目は相手に合っていそうな型を適用する。

2つ目はおせっかいと感じる場面もあるかと思うが、少なくとも相手を観察して、こういう型がいいのではないかと考えている。
しかし1つ目の場合は自分の理想の型を至上のものと勘違いしているように思える。

至上のものと勘違いしている、というと大げさかもしれないが、自己陶酔もいいところのように思う。
お前は何様なのだ、と罵りたい気持ちが生まれないこともない。
自分自身を世間に一般化し、それを他人にも押し付ける行為、気分の良いものではない。

おそらくだがこのように自分の理想の型を相手に強要するような輩はごく少数だと思う。
しかしごくたまにそんな輩に出会ってしまうと不運だ。
そして抱く必要もない不満感のようないらだちを覚えてしまう。

このように考えてくると、宗教ってそれに当てはまる気がする。
理想の型を提示し、それを目指ささせるわけだ。
すべての宗教がそうだとは言わないが、そういう教えも存在している、ように思える。
だから自分は無宗教なのかもしれない。

とにかく、自分自身としては「十人十色」、「百人百様」が好きなんだろう。
そういう再認識。

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