日本企業の国際化の話

自分用にメモ。
日本企業の国際化の流れについて。

明治時代から、日本企業は輸出を中心に国際経営をし始めていた。
ただし、ほぼほぼ輸出のみ。
現在などのように、現地生産はしていない状態。
それが一変する出来事があった。

1985年のプラザ合意だ。
これ以降、ドル安が進み、それに合わせて円高が助長されていった。
かつての円安は日本企業の輸出を大きく助けていたのだが、ここから風向きが変わった。
どんどん進む円高の波は、輸出中心企業の売上高を圧迫していった。
日本の製造業は、製品を日本で生産し、海外へ輸出するよりも、生産する現地で製造したほうがコストが低くなることに気づき、現地生産という国際化の道を進むことになる。

日本企業の輸出マーケティングには大きく3段階があるようだ。
1.商社経由の輸出
2.製造企業の直接的な輸出
3.海外販売小会社の設立による輸出

かつての製造業者は、海外における販売までを手がける余力や余裕はなく、商社を頼んでいた。
しかし、徐々に力をつけてきた企業は商社を挟むことで発生するコストを下げるため、直接的に製品を輸出するようになる。
その一方で、現地国での輸入規制や現地での本格的なマーケティング活動を行うため、製造業者は現地に小会社を設立する。

特にブランド重視の製品や高技術が必要となる製品に関しては3段階目のステップでの輸出マーケティングが中心となっている。
だが、ブランド価値が無かったり、そもそもブランド価値が必要ない製品、例えば鉄鋼や繊維、汎用化学品に関しては、現在でも商社経由による輸出が中心だという。

日本企業が国際経営をしていく中で、注目される点にはその組織構造もあげられる。
単純に分類すると、以下のように構造を変化させていくという。
1.事業部制……海外への販売はない
2.輸出部……海外への輸出が始まる
3.海外事業部……海外へ適応するための事業部が設立される
4.グローバル事業部……グローバル規模での事業展開
※場合によって、3と4は並存しているという

日本企業が海外へ展開するとき、製造業者であれば工場、小売業者であれば販売店の設立がされうる。
問題となってくるのは、その現地設備の人員となる。
多くの日本企業の場合、現地人を雇用することで、現地でのニーズをつかんだり、マーケティングを効果的に行ったり、行政との折衝にあたったりしている。
その一方で、経営上層部については現地化が進んでいないという。
結局のところ、現地の企業においても社長や取締役の多くは日本人であるという。

これは1つの問題を引き起こす要因ともなっている。
それが日本語による経営である。
本社は当然日本語による経営で、現地上層部に関しても日本語が使用される。
このことによって、多国籍企業であることの優位性を発揮できないと言われる。

多国籍企業の優位性とは何か。
それは優秀な人財の登用であるとされる。
世界的に見た場合、その言語を利用している人口の数は大きく異なってくる。
日本語を喋れることが絶対条件になった場合、日本人以外での優秀な人財の登用は比較的困難となってくる。
一方で英語を公用語とした企業の場合、英語を利用する人口の絶対数の大きさから、優秀な人財を多く登用することが可能となってくる。
そういう点で、日本語による経営は大きなコストとなってくるという。

参考:国際経営 第3版 (有斐閣アルマ),吉原 英樹 著 2011

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