『幼年期の終り』を読んだ。

『幼年期の終り』
アーサー・C・クラーク著
幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))

読書の秋だ、ということで読んだ。
今までSF作品を読んだことがなかったせいもあってか、ものすごく印象強く残った。
秋の夜長だからなのか、遅くまで起きて読んでいた。
とにかくすごく面白かった。

SFといえば、サイエンス・フィクションなので、サイエンスチックなストーリーでありながら、ありえない話なんだろうとは考えていた。
まさにその通り、サイエンスでありながら、ありえないだろうという思いを抱きながら読んだ。
ここでいうありえないというのは、信じられないというか、自分の想像力を完全に超えていただけに、よくここまでの話を、というありえない、である。
とにかく面白かった。

ストーリーの冒頭、宇宙人がやってくるのだ。
初っ端から宇宙人だ。
とりあえず宇宙人が地球に来たわけだ。
まずは何をするのか。
戦争?
和平?
研究?

現実として、宇宙人が宇宙船に乗って地球へやってきた場合、地球人はどうするのか。
いや、地球人として行動するのか。もしくは日本人だとか、アメリカ人だとか、国境を越えることができなかったりするのではないか。

それは置いておいて、この本の中では、国連が宇宙人と応対する。
しかも宇宙人とコンタクトできる人類は1人のみ。
その1人を中心として、ストーリーは展開を始める。

さて、宇宙人の姿といえばどのようなものが浮かぶだろうか。
グレイと呼ばれる、目が異常に大きく発達した宇宙人像が真っ先に浮かぶ。
そんな宇宙人が目の前に現れた日には大混乱も大混乱、大変なことになるだろう。
しかし、本書での宇宙人はそういう意味でとても行儀が良い。
いきなり姿を見せて人類を驚かせないのだ。
時間を置いて、心の余裕を持たせてくれるのだ。
なんともありがたい。

宇宙人との接触で期待することはなんだろうか。
一つには科学技術の革新があげられるのではないだろうか。
遠い宇宙をはるか地球までやってくることが出来るような科学力。
底知れないものだろう。

本書でも、地球の科学水準は高まり、こんな未来の生活はいいかもしれない、とあこがれを抱かせてくれる。
とてもおもしろい。

物語を語りすぎては、せっかくの読む楽しみが減ってしまうものだろう。
これ以上は語らないが、とにかく面白い。
サイエンス・フィクションという分野が面白いのか、はてさて著者が素晴らしいのか。
またはどのどちらでもあるのかもしれない。

自分はNexus7を持っているので、文庫本ではなく、Kindleストアで購入して読んだ。
こちらのほうが200円ほどお得だったのだ。
Nexus7はネットブラウジングから読書まで、不都合なく使える。
7インチタブレットは非常に取り扱いがいい。

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